new


音楽を創造する、制作するということは実に個人的な行為だと思う。音楽を聴くという行為もまた同じように等しく。
楽曲に音楽家のパーソナルな思い入れや暗喩のようなものが込められていたとしても、聴き手はその受け取り方や個人的な印象によってその楽曲を解釈し、自分のそばに手繰り寄せようとするのだから話は複雑で厄介になる。音楽家が意図するしないにかかわらず、音楽が作り手のもとを離れた瞬間からその音楽は一人称単数から一人称複数へ、「わたし」のものから「わたしたち」のものへと変貌を遂げる。だから音楽は常に「閉じている」のであり、同じようにあらゆる人へ向かって「開かれている」のだと思う。
昨日音楽家本人から直接届けられたこの音楽のことをぼくがどんなふうに聴いたのかなんて、きっと音楽家にとってはどうでもいいことだろう。農夫である彼が田に稲を植え育てるように音が奏でられ、実り豊かな季節が巡り作物の恵みを祝うように、曲が編まれた。ただそれだけのことを、まっすぐに受け止めればいいことだ。解釈は人それぞれでいいが、きっとこの音楽はこの厳冬の北の土地に生きる人が作った音だ。だから春が巡り、ながい雨期を経て、うだるような暑さが過ぎ、すべてのものが色づく秋を迎えたとき、その音楽は優しく頬を撫でる風のように、穏やかに鳴らされているのだ。
岩手県在住の音楽家・菅間一徳のニューアルバム『秋の小さな手』が到着しました。心地よく、あたたかく、懐かしい、ギターの音色が詰まった全8曲。今回は本棚に収まる、単行本サイズの特殊仕様。歌詞や文章が記載されたブックレットに、画家・大平高之のポストカードも三枚封入されています。
(2023年・sewing chair)