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「百年」の樽本さんは当店出版部の大事なお客様だ。いつも大量の発注を下さって、すぐに代金を振り込んでくださる。なんて素晴らしいお客様なんだろう。いつも通帳記帳をするたびにそう思う。もちろんそれだけではない。樽本さんのX(旧Twitter)をたまに開くと、大変示唆に富んだ、含蓄のある言葉が投稿されていることがある。こんなふうに誰かに小さな声で何かを伝えたいといつも思う。そして(お邪魔したのはかなり昔だが)〈百年〉の本棚は素晴らしい。あんなふうに本屋を営んでみたい。そんなふうに思っている。
樽本さんが〈百年〉を始める2006年から2007年の日記をまとめた一冊の本が届いた。それにしてもどうして今、このタイミングで自分の初期衝動のような、そんな文章を発表しようと思ったのだろう。読み終えると本に小さな二つ折りの紙が挟まれていた。そこにはこう書かれていた。
"この仕事をしていると「死」が近い。たくさんの悲しみがあった。それを受け止めることは時に苦しかった。しばらくその影響を受けてやりきれない日々を過ごすこともあった。それでもやり続けてきたのは、そういう人たち、本を買い、読み、本を愛してきた人たちを忘れたくない、私だけでもあなたたちがいたから本は存在しつづけたということを知っておく、忘れないでおく必要があると思ったからだ。私たちが死んでも本は残る"
こんな人が古本屋を営んでいてよかったと思った。こんな人が本屋のカウンターに座っていることを嬉しく思う。2006年から2007年にかけての樽本さんの文章は若くて、青臭い。その青臭さがたまらなく好きだ。何かを始めることは永遠なんかじゃない。百年は続かないかもしれない。でも、やがて来る一日を信じることはできる。その一日がやがて永遠になる。そんなことを信じられる本だ。
(2024年・百年)