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"私が先に、北海道の山奥で「僕」が何年ぶりかであった「鼠」に「君はもう死んでいるんだろう?」と静かに聞くところで不覚にも涙した、と書いたのは実はこの文脈でである。六○年代の終りから七○年代のはじめにかけて私たちの周囲にはほんとうに「鼠」のように急に姿を消してしまう友人がたくさんいた。私たちは此岸に残り、彼らは彼岸に消えた。この差はどうしようもなく大きい。「僕」と同じように私でさえこの消えてしまった友人を“シーク”(捜索)したくなることがしばしばである。“君は、ほんとうにどこに消えたのか!”。だから私は次のようなこの小説の言葉につまずく。――「僕は彼女の向いの椅子に腰を下ろし、コーヒーを飲みながら、昔の連中の話をした。彼らの多くは大学をやめていた。一人は自殺し、一人は行方をくらませていた。そんな話だ"
(川本三郎 「村上春樹をめぐる解読」)
1972年11月、革マル派が支配する早稲田大学文学部構内で一人の学生が虐殺された。この「川口大三郎君事件」を機に一般学生たちがほんとうの自治を求めて蜂起する。
社会変革を希求したはずの学生運動とは日本人にとっていったい何だったのか。渦中にいたはずの学生たちは卒業と共に髪を切り、モーレツに働く企業戦士となった。その多くはあの時代を「総括」せずに沈黙したままだ。
元朝日新聞記者が経験した50年前の体験を、現代の閉塞した日本社会へと繋げる渾身のルポルタージュ。待望の文庫版が刊行されました。
(2024年・文藝春秋)