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哀しいことやつらいことから目を背けるのではなく、あくまで生きる態度として不幸に呑まれまいとすることが「優雅さ」である。その優雅さを保ち続けるということはたぶん少しずつじぶんのなかの何かが死んでしまうということなのではないだろうか。
フィッツジェラルドが憧れ、短編「夜はやさし」のモデルになったという画家のジェラルド・マーフィーとセーラ夫妻も、そのように自己の内なる何かを殺しながら優雅さや快適さに重点を置いて暮らした人間たちであった。ヘミングウェイやピカソ、レジェやコール・ポーターたちとの交流のなかで描かれる彼らの波乱に富んだ人生は、運命の残酷さや人間の誠実な営みとは何かを我々に教えてくれる。カルヴィン・トムキンズのこの160ページ足らずの薄くて小さな本のことを思い出すとき、この本の最後に置かれたレジェの言葉が今でもまざまざとよみがえり、ぼくはふと立ち止まり、ぼくはいまどちらだろうかとじぶんの生き方を見つめ直してみるのだ。
”快適な生活とひどい仕事、ひどい生活と美しい仕事、どっちかだよ”。
(拙著『ぼくにはこれしかなかった。』ぼくの50冊より)
フィツジェラルド最後の長編『夜はやさし』のモデルとなったジェラルドとセーラのマーフィー夫妻宅へ週に二、三回通いつめ、テープレコーダーを回しながら書き留めた1920年代のフランスでの優雅な時代。ピカソやレジェ、コール・ポーターやヘミングウェイ、フィツジェラルドやゼルダとの華々しく泡のように消えてしまう刹那の日々を、真空パックのようにドキュメントした作家カルヴィン・トムキンスのノンフィクション名作がまさかの、それも青山南訳でまさかの復刊。版権交渉に8年を要したという田畑書店さんの素晴らしい仕事。お見逃しなく。
(2022年・田畑書店)