最近、早朝にウォーキングを始めた。子どもの相手をしていると、すべてのことが慌ただしく過ぎてしまい、ものごとを冷静に考える時間がなくなってしまったように感じていた。それで、家族よりも少し早く起きて近所を30分程度、音楽やポッドキャストを聴きながらただひたすら歩いている。ポッドキャストはさまざまな番組を聴いているが、特に「コクヨ野外学習センター」が楽しい。中でも「新・雑貨論」は途中で止めるのが惜しくなるほど、聴くたびに発見や気づきを与えてくれる素晴らしいコンテンツだった。一番印象に残っているのは知人である山形のデザイナー吉田勝信さんが出演している回で、デザインががとかく技能偏向に陥っていること、人目を引くことや空間を埋める(埋めなければならない)ことへ終始していることへの違和感を口にしていた。「上手/下手」ではなく、主観や恣意性を排除することで見えてくるデザイン本来の意図を、できるだけ第三者的な観点から表現すること。論説は異なるが彼の話を聴きながら思い出したのは、ヴィクター・パパネックのことだった。吉田さんが言っていることと、パパネックが『生きのびるためのデザイン』で書いていることが交差する瞬間が何度もあり、本質的に二人は同じ視点でこの世界を見ているのではないだろうか。資本主義経済の唯物論的社会から逃れ、余白を自分で引いたところからデザインの限界を超えたデザインが生まれる。もう一度パパネックの本を読みたくなった。
(2020年・晶文社/新刊本)